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◆第5回 戦争責任に時効はない
開催日:2023年5月2日(火)19:00-21:00
講師:桜井均(映像ジャーナリスト・元NHKディレクター/プロデューサー)
概要:視聴映像:NHKスペシャル『映像の世紀 ナチハンター』(2022年12月12日)
連合国は、極東国際軍事裁判(東京裁判)で、日本の戦争指導者の戦争犯罪を審判し、七名を絞首刑に処した。しかし、天皇の戦争責任、七三一細菌戦部隊、米の原爆投下については訴追することなく、日本人のなかに、戦争責任追及の不徹底を定着させた。まさにこの時期(1946年5月~48年11月)は、東西冷戦の前夜であり、裁判も連合国間の駆け引きの場となった。そうしたなかで、昭和天皇は、アジア・太平洋戦争を泥沼に導いたのは「付和雷同する国民性と狂信的な軍部の暴走であった」との認識を持ち、もっぱら軍部批判を行なった。天皇の御用掛木下道雄の『聖断拝聴録』には、「負け惜しみと思うかもしれぬが、敗戦の結果とはいえ我が憲法の改正も出来た今日に於て考えてみれば、我が国民にとっては勝利の結果極端なる軍国主義となるよりも却って幸福ではないだろうか」とある。歴史忘却の根本がここに読める。
しかし、ドイツではニュルンベルク裁判が終わった後、70年代になって学生運動を中心に、「戦争責任に時効はない」という市民運動が活発になった。「大規模な大量殺人は、社会に適合する人間がいれば可能になる」という思想は、日本の大勢順応主義と対極にある。その結果、ドイツのみならず、被占領下フランス・ヴィシー政権の対独協力者も時効なく裁かれた(モーリス・パポン裁判)。これに対して、日本のA級戦犯容疑者、岸信介、笹川良一などは釈放された。(➝その後の旧統一教会との関係)。
70年代の運動は85年のワイツゼッカー大統領演説に結実した。「自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできない」が、「だれもが過去からの帰結にかかわり合っており、過去に対する責任を負わされている」。歴史忘却主義の対極にある。
団塊の世代の全共闘運動の限界を考える。