第9期受講生ブログ

[コース12第1回] 戦争を忘却する村

¥2,000

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◆第1回 戦争を忘却する村

開催日:2023年3月7日(火)19:00-21:00 
講師:桜井均(映像ジャーナリスト・元NHKディレクター/プロデューサー)
概要:視聴映像:特集ドキュメンタリー『皿の碑』(1974年8月9日)
松山市郊外の久谷村は、戦争中に1000人が出征し、300人以上が戦死した。村の出身者相原熊太郎は、都新聞(現東京新聞)の記者を退職したのち、村の戦死者の家を一軒一軒訪ね歩き、戦死者の職業、人柄、最後の状況を聞き書きし、七五調の「いろは歌」にまとめた。それらを砥部焼の皿に焼き込み、靖国の思想とは異なる「相互慰霊の塔」を建てることを提唱した。しかし、彼の訪問は歓迎されなかった。
彼が活動した1947年から49年頃は、一方でGHQの目を怖れ、他方で講和条約後の軍人恩給の復活が囁かれる時期と重なる。相原熊太郎は300余枚の皿を四六番札所浄瑠璃寺の裏に捨てて村を去った。NHKがそれを発見し読み込んでいくと、そこには軍人のほかに広島で被爆死した女性、何の補償も得られない少年兵、朝鮮人の徴用兵の歌も記録されていることがわかった。相原熊太郎は90歳を超えて、東京荻窪の線路沿いの家に存命だった。だが、すでに視力を失い、記憶も薄れていた。
取材の最後に「縁の下の皿をどうすればいいか」と問うと、老人は「あのとき村の人が気づかなかったのだから、寺の縁の下に埋めておけばいい」と語気を荒げた。取り返し不能な時間のなかで活動するジャーナリストの矜持を感じさせた。戦後30年を経て、ローカル放送をきっかけに相原熊太郎は「村の恩人」となった。遺族会は、熊太郎構想とは似ても似つかぬブロック塀に、一部内容を変えた「皿」を貼り付け、盛大な慰霊祭を行なった。その場に、相原熊太郎と朝鮮人の夫を亡くした妻の姿はなかった。戦前・戦後を通して、村人の意識を支配してきたのは「大勢順応主義」と「集団的忘却」という時間であった。