2023/03/27 20:19

このブログではNPAに寄せられた受講生から寄せらた感想や関連ニュースを紹介します!

第11期開講中!!(第11期に寄せられた受講生感想を掲載します。)
コース1 日本と東アジア
1回目, 2回目, 3回目
バンクーバーでは午前2時の講座ですが和田春樹さんの話がどうしても聞きたくリアル参加しています。Q&Aの時間には寝落ちしてしまうことも多いのですが。本当に学びや気付きのつまった素晴らしい講座です。夜遅いためリアルタイムで質問したり書き込んだりする元気がないのでここで質問させていただけるかと思いました。和田さんは、ブルース・カミングスさんの、朝鮮戦争は米国が朝鮮を分断した1945以来、あるいは,金日成らの抗日パルチザンが朝鮮戦争の起源とみれば1932年以来続いている戦争と見る見方を受け入れないとのお立場のようです。冷戦後見つかったソ連の資料でスターリンや毛沢東の関与が明らかになった後もカミングス氏はそれを採用しなかったとのことですが、カミングス氏のその後の著作 The Korean War: A History を読むとそれらの資料に触れていますし、1950年6月25日のDPRK侵攻の事実も認めていますし、その背後にスターリンや毛沢東の承認があったことを否定しているわけでもないが、ただそこにだけ注目するのは木を見て森を見ずではないか(歴史性がない)ということを指摘しているだけかと思います。1948年の両国成立に戦争の起源があるという和田さんの論とも矛盾しないと思います。1948年は1945年分断の結果ですし。私が見るかぎりは、和田さんとカミングスさんの相違は歴史のどこに重点を置くかであって相互を排除するものではなくする必要もないものに見えますが私の理解が足りないのであろうとも思っています。和田さんから見た、「和田さんとカミングスさんはどう違うのか」について端的に教えてくださると幸いです。

1回目、2回目、3回目 A.C.さん
とても口頭では言えないと思うので、したためます。講座中に読んでいただいたら幸いです。私は何が問題になっているか見極めず、北朝鮮に関するニュースを聞き流して来ました。そんな中、北朝鮮のみ核保有禁止という国連決議に非常なおかしさ(道理のなさ)をかんじました。そしてこんな不道理をそのまま受け入れてはならないとも思いました。しかし北朝鮮についてよく知らないから何か言えない。それで北朝鮮の事を正確に知るよう努力し始めました。今回の和田先生の講座は私にはよく頷けるものでした。1948年に大日本帝国の臣民が二つの地域に分割占領された為に朝鮮戦争が起きたのだという見解には、誰もがどっぷり浸かっていた内乱説が中々拭えない為あたまがこんがらがりました。しかし内乱説も私にはそのイメージが描けずにいました。内乱説のイメージが湧かずにいる時,二つの国家がそれぞれの統一国家を目指して戦いが起こったという構図がみえてきました。また、印象的だったのは和田先生が、金日成は本当に[南が先に攻撃してきた]と思っていたのではないかとおっしゃったことでした。それまでに南北でやりあいが一杯あるからです。
他の面を考えてみるという先生の公平で優しい眼差しを感じました。又、今後はどちらも共存を念頭において話しあうしかないというのも正鵠を得ていると思います。勉強になりました。ありがとうございました。

コース4 メディアと社会運動
1回目 N.Aさん
メディア運動が、技術やコミュニケーションの問題から最も変化が早く影響力が大きい運動だと思うのですが、市民運動一般論として興味深かったです。財政や組織運営、政権と関わり方を考え、戦略と準備が必要なんだと思いました。これまでAIとメディアと労働運動の関係がよくわからなかったのですが、今日の講義でエキストラの扱いなどの話を聞き、まさに労働運動の最先端だと思いました。この先も具体的にお話を聞けるのが楽しみです。

コース5 高橋哲哉の市民哲学セミナー
1回目 T.Kさん
親になり、子供が小学生にあがると、接する人たちの多様性が学生時代よりもずっと幅広くなったと感じます。その中で、本講座で学んでいくことが、生活の様々な局面で立ち止まる場面があるとき、どこかでほのかにひとつの判断材料というか、示唆を与えてくれるように感じています。私は、たまたま幸運に高橋先生に機会を頂き、ただ知りたい学びたいという動機で始めさせて頂きましたが、今回の講座の冒頭で、「(市民社会と哲学のふたつをにらんで)思考力を鍛えていく」、という言葉に、目的が明確になり、遅まきながらはっとし、ありがたく思いました。ノルウェーのウトヤの事件では、これだけの凶悪犯で、反省色もない人間が、人道的な環境で生きている状況は、日本で同様のことがあれば、世論が大変なことになっているという気がしました。
事件が起こってから2日後の首相スピーチの、大変なショックの中でも、Our response is more democracy, more openness, and more humanity. But never naivity. には、日本の故安部氏や岸田氏の「テロには屈しない」とは違うものを感じます。また、9.11後の米国の姿勢とも大きく違うものを感じます。一方でまた仏の無差別テロの後の、「僕は君たちを許すことにした」という妻子を殺害されたジャーナリストともまた別のように思えました。労働青年同盟の女の子の言葉には本当に驚き、胸を打たれます。日本で、こういった言葉が自然に発せられるだろうか…個人的には、死刑制度の存置について、日本で圧倒的な支持が多いことについて、市民社会の中に根付いている人権の概念が、こうした国とは大きく違うように思えます。今回の講座も興味深く、楽しみにさせていただきます。

2回目
2007年の国連の会議での議長発言-死刑を廃止した「すべての」国が世論の意思に反して廃止してきた―ことは初めて知り、それらの国と存置している日本の違いに興味が増します。
『白痴』の中で語られるギロチンの精神的苦痛の大きさは、自分が思い至ったことのない視点ではっとしました。銃殺刑になるところだった経験をもつ作者の深い思考が元になっているとも思えます。自分は、死刑存置の是非について確かな自分の考えを持つことができておらず、この小説の中で語られることは、新しい視点で、刺激でした。
先生の仰る「国家権力が既にその手中において無力化している人々を、あえて殺す」ことの倫理的な正当性に疑問をとなえる視点でもあると思います。
今年、死刑に処された加藤被告のその執行のタイミングは、自分にはショックでもありました。犯罪者を生んだ社会的背景を特定して「裁く」ことはできず、見せしめとしての恣意的な要素がその執行のタイミングにあるとしたら、失望や恐ろしさを覚えます。

4回目 T.K.さん
死刑の執行方法については、高校時代に授業で知り、そのイメージを持ってはいましたが、それが意味するところについて、「無力化して国家権力の手中にあり、国家にとって何らその公共の福祉を脅かす存在でない」ものの生命をあえて奪う、と今回先生が言語化されたことは、新しい視点を頂いたことでした。死刑制度の世論調査で、その視点、発想を持ちえる人が、どれくらいの割合いるだろうかと思います。「森の中で殺人犯に殺される人も」「大砲の前で撃たれる兵士も」「死の直前まで一縷の望みを抱いている」が、死刑にはそれもないという、一切の希望を人間になからしめることを国家権力がすることは、クリティカルに考える必要があり、それは、死刑を宣告される殺人犯の犯罪事態の残忍さとは、また区別して考えられるべきもののような気がしてきています。

ベンヤミンの暴力批判論の抜粋は、難しいです…ナチス台頭の頃に出た論ということは興味を惹きます。「死刑は単なる刑罰の一つではな」く、能動的に権力がむき出しの暴力性を
さらけ出す別次元のもの、ということなのだろうかと思います。

自衛のための、権力対権力の戦争よりも、ひとつのこととしては、なお残忍(という言葉の選択が適当かわかりませんが)な、完全な無力化した個人と権力という対置。しかし大方の日本の世論では、殺人犯が犯した罪においての人権否定と、国家による(刑執行という)殺人による人権否定を対置し、そこの「均等性」―同害報復が支持されているように思います。先生は、その視点ではないというところが印象的でした。最後にいつも皆さんの意見と先生のレスポンスを伺えることも興味深く、次回も楽しみです。

コース6 抵抗の芸術と表現・思想の自由

第1回目 N.A.さん
過去の韓洪九先生の検察暴力についての講座、今期はコース4の金明準先生の韓国メディア運動の講座、を受けているので、ニュース打破がすごい戦いをしているとびっくりし、さらに日本の情報鎖国にびっくりします。NPA講座をクロスしてとると、歴史もニュースも深く理解できます。ありがとうございました。

コース9 辻子実の「靖国の闇へ平和の灯りを」

第4回目
冒頭映像について感想をお送りします(余談ですが、コース4で講義を受けている金明準先生のメディアアクトの名前が見え、さすがと思いました)私は、植民地支配の意味がシンプルに冷静に描かれていて、よく出来ていると思いました。(兵器や軍事に詳しくないので、ファンタジー表現だと感じるからか、空母から零戦が飛び立つ違和感などはわかりませんでした。)いくら美しく言っても、朝鮮人が日本人のために特攻させられ靖国に合祀される不条理。妻子の明るいイメージと、引き摺り込む黒い手の対比。日本人と朝鮮人の間の透明な壁。
日韓関係を超えて、思考停止の果てにあるもの、人間性など色々なことを象徴していると感じました。日本の中では見落とされがちな視点を教えてくれる意味でも興味深かったです。

コース11  戦後労働運動と労働問題

4回目 K.O.さん
鳥井さんのお話を聞き、教育の大切さと、労働組合の必要性を感じました。教育は、自主・自立、自分で考えることを育てるものと思いますが、まさに鳥井さんはそのような環境で中・高校時代、大学時代を過ごされてきた。貴重な体験だと思います。また、地域運動に入り、職場での労働組合作り、同僚に裏切られながらも続けることで信頼を勝ち取り、また個人でも加盟できる労働組合の存在で、職場の改善を勝ち取ってきた。すごいなと思います。ぜひ本にして残し、引き継いでほしいと思います。

コース12  在日コリアン

第4回目 N.A.さん
マルセ太郎の名前は聞いたことがああったが、どういう人かよく知らなかったです。渋谷ジアンジアンの最後の頃に美輪明宏を観に行ったことがあり、行こうと思えば行けたようで、今日のお話を聞いて、わぁ惜しかった!と思いましたが、20年前は無知過ぎて深い意味はわからなかったかも知れないとも思いました。時代を越える芸や、話だし、迫力や内容がむしろ益々いまの時代を鋭く批判していると思いました。NPA在日コリアンコースのひとつ前の期に、崔善愛さんの親子三世代のお話を聞き、今回は金梨花さんの親子三世代のお話を聞き、両方とも娘さんが悩みながら卒業式で不起立に至っており、そのシーンが感動的でした。在日であれば避けて通れない共通する部分、違う部分、より深く理解できた気がします。お二人とも語りが素晴らしいのと、偉大な父の活動と、在日朝鮮人としての家族の歴史を、愛情と誇りを込めて語っておられ、感動的でした。金梨花さんのマルセ伝道は、とてもわかりやすく新鮮で、日中韓を笑いで貫く視点は、これからとても大事だと思います。マルセ太郎、もっと見たいです。

コース13  強制連行の現場から戦後補償を考える
1回目, 2回目, 3回目
2回目、3回目は当日受講できなかったので、録画を視聴しました。「大変なことが当時行われていたんだな」と、驚き、感服いたしました。

コース14  木戸衛一と考えるドイツの現代史と政治
2回目
木戸先生の講義は大変有意義で、毎回感銘を受けながら、とてもたくさん学ばせていただいております。本当にありがとうございます。
先生からは、ハマスの蛮行は無視すべきではない。善悪二元論で見ない方が良い。共生に力を注いできた存在もみるべきだ、歴史的トラウマも考慮すべき、というコメントをいただきました。そこからも多くを学びました。そして物事を善悪で見るべきではない、その通りだと感じました。ウクライナとロシアの関係は、まさに多様な検討が必要に思います。
一方、イスラエル政府(軍)と、イスラエル市民は分けて考えており、今回は市民ではなく、政府や軍に限って考えており、彼らの誤情報を重ねて虐殺を正当化していくやり方は、悪だと非難する必要性を感じています。
イスラエル市民の中には、共生にも力を尽くし、パレスチナに連帯し、ジェノサイドに反対する人も多いと認識しています。しかし、ご存知のように、政府、軍が行っていることは病院や学校への空爆を繰り返し、電気水食料の供給も止め、未熟児の赤ちゃんさえも全員殺害するなど大虐殺そのものに見えます。そして軍からの発表は、地下にハマスの武器があったなどと、その場に置いたことが素人にもわかるなど、明らかな茶番や嘘を繰り返しています。10月7日のハマスによる襲撃当時も、イスラエル軍が無差別に逃げる車の数々を砲撃し、ハマスと関係のない人々を大量に殺害したことを軍自身も認めています。国家/政府/軍と市民を分けて考えた場合、明らかにイスラエル国家/政府/軍は悪だと定義づけないと、ガザでの1万人以上の無差別な虐殺を擁護してしまう危険性を感じています。
また、歴史的トラウマについてですが、植民地支配されたアジアやアフリカ、さらに言えば世界中の先住民の方々など、深い歴史的なトラウマを抱えている存在があり、トラウマを抱えているのは、ユダヤ人の方々だけではないため、それについてもモヤモヤを感じました。これまで、ユダヤ人のトラウマを相対化するな、という声に常に反発を抱いてきたこともあり、この大虐殺が行われている状況で、歴史的トラウマがあるから大目に見る、考慮すべき、という空気を危険だと感じています。そしてその意味でも、歴史的トラウマを抱えたユダヤ人という存在と、現在の虐殺を行っているイスラエル国家は分けて考えるべきだと思っています。

コース15  ひでぽん先生とめぐる先住民の世界

第4回 A.Nさん
録画で拝見しました。沖縄にいた祖母や沖縄出身の母が抱えていた知らなかった時代背景に、なんともいえない複雑な気持ちになりました。日本政府や米軍も酷いですが、沖縄も騙されず分断を乗り越えて独立するために水平の運動を展開する、議論してひとりひとりが強くなる必要がある、という示唆は全く同感です。脱米には日本本土もそれが必要ですが、沖縄が先に達成しそうだと思いました。対米独立戦争を戦った中国、ベトナム、北朝鮮には、既にそのヒントがありそうだなと思っています。ありがとうございました。

コース17  内海愛子と「戦争責任」「戦後責任」を考える

第1・2・3回 G.Kさん

他では学ぶことが出来ない貴重な機会を頂き、ありがとうございました。
戦後の再軍備と遺族会との関連について知る機会と思い受講を申し込みました。
再軍備をすすめる保守勢力の支援勢力ではあったものの、それは政治家が自分の選挙の支援団体として利用した色彩の方が濃いようですね。宗教団体でもネズミ講でも票になればなんでも取り込む体質を改めて感じました。
大島渚の「皇軍」の映像、電車の中で人をかき分ける傷痍軍人の姿、宴会でやり場のない怒りをぶつける姿を強烈に記憶しています。朝鮮籍への恩給復活という肝心のテーマは覚えていません。昭和38年放送時に見たとは思えず、どこで見たのでしょうか。昭和30年を過ぎても奈良のような観光地ではいつもあの傷痍軍人姿の人がアコーディオンを弾いて施しを求めている姿がありました。もう少し年代が下って高度成長期になると見かけることは稀でしたが「あれは偽物で、あんな姿で乞食をしているのだ」と家族が吐き捨てるように言ったのを記憶しています。
私にとって戦争は「血の記憶」です。伯母の連れ合いと祖母の妹の夫が戦死し、母の兄弟二人はインパール、中国から復員しました。父親は召集され内地で訓練中に終戦を迎えました。生きて還った人も家族も一人として恩給はおろか戦争についても私の前で語った者はいません。唯一、海軍に志願し通信兵として呉港の爆撃、戦後の復員業務を体験した父の友人が最晩年に体験を自ら書き起こし、新聞掲載を経て本にした(なった?)のみです。
その本には掲載されなかったのが、戦後の盛り場での「我が物顔で振る舞う第三国人」との大立ち回りで逮捕されたことでした。90歳を過ぎても彼らを許せないと怒りは治まっていませんでした。朝鮮籍の旧日本人の日本に対する怒りは遂に理解できなかったのです。
「自分たちは本当のことを知らされていなかったのだ」という言い訳が「反戦非戦」の思いとなり、その後の世代に受け継がれているか大いに疑問です。
人生の第3コーナーを回った気がする昨今、孫たちに戦争の記憶をどう伝えていくか宿題を抱えたままです。

第4回目 G.K.さん
「陸士52期」の士官たちの戦争と戦後を通して昭和の日本を考える試みを大変興味深く拝聴しました。
陸軍部隊の基本構造など類書にも掲載されているものの今一つ分掌関係などが理解できていなかったのですが、「中隊が命令実行の核」という説明で士官の役割がよく理解できるよになりました。(サラリーマン時代の我が身と比較して役割が実感として分かるようになりました。)日本の士官・将校はやはり「さむらい」であることを求められていたのですね。日本が仏独から導入した近代軍隊制度では「将校団は武装部隊や装備などの暴力資源を運用管理し、国家の軍事的安全保障に責任を持つ」専門家集団であるのに対して、戦前日本の将校は武力行使集団である兵卒と一体化して暴力を行使することで異なる役割を果たしていたと読んだことがあります。陸士本科一限目の講義の「自ら兵卒の先頭に立って死ぬサムライ」であることが第一義的に求められていました。戦線の第二陣にいる工兵だからこそ、技術優先に走るのではなく精神面で前線の兵士に劣らぬ気概を強く求めたのかもしれません。中国戦線で日本軍はー戦略面はともかくー個々の戦闘場面では大変強かった、朝鮮戦争の準備を始めていた金日成も開戦したら米軍と共に日本軍が戻ってくるのを恐れていた、とも聞きます。部隊の戦場での強さはそうした士官教育の「成果」といえるのかもしれません。それにしても大戦後期の士官の死亡率の高さは異常ですね。

明治維新によって封建制度は終わりますが「さむらい」階級が「天皇による支配幻想」に基づいて統治を継続していきます。士官学校は天皇中心の世界観と武人としての価値観を至上のものとする教育機関として旧日本帝国が最も理想とする空間だったのでしょう。特に社会観全般を育む十代にそうした教育しか受けなかった「幼年学校出身の最優秀層」が国家支配層までのし上がった時、「国体護持・一億玉砕」以上の戦略が生まれなかったのは当然の帰結だったかもしれません。

それにしても「裏金作りがビジネス」の議員や「就任したら最もやりたいことは人事」の首相を育んだ日本の戦後教育、社会風土とは何か、ため息ばかりの昨今です。引き続き、講座での学び、発見に期待しています。

コース18  環境運動のパブリックヒストリー

第2回目 Y.Y.さん
講義も興味深かったですが、公式な講義終了後の雑談時間のお話が面白かったです。

第10期コース7松原明の「3分ビデオ」制作工房より
「わたしは非正規公務員」という作品を作ったNPA受講生の作品がレ―バーネット映画祭に出され、その後『東京新聞』の1面に紹介されました!
WEB記事はこちらです↓